援助という仕事の「罠」と「贈りもの」
こんにちは。水澤都加佐です。
私は精神科のソーシャルワーカーとして長年仕事をする間に、何度も大きな課題に直面しました。
その多くは、医療分野に限らず、保健・福祉・介護でも、教育・司法でも、誰かを援助したり指導する立場にある人が共通して経験する課題ではないかと思います。
幸いなことに私は困難につきあたるたび、かつて研修を受けたアメリカの施設に戻って、信頼するスーパーバイザーからの助言や、専門のセラピーを受けることができました。
そうやって軌道修正することで、自分自身をギリギリ消耗させることなく、援助の仕事を続けることができたのです。
援助という仕事の「罠」と「贈りもの」について、考えてみたいと思います。
1.傷ついた援助者は
私のカウンセリング・オフィスには、治療・援助の仕事に就いておられる方も多数相談にみえます。
それは、私がその方たちよりも「援助技術に秀でている」からではありません。
相談にみえた時点で、「その方が抱える問題に対して、私の方が健康なスタンスをとれる」からです。 援助者は、「援助する相手よりも健康である」ことが前提です。
これは「完ぺきに健康でなければいけない」という意味ではありません。(そんなことは不可能です) クライエントの「生身の人生」には、混乱、対立、葛藤、病気、喪失、痛みがあります。
援助者はそうした数々の問題に対して、クライエントよりも柔軟でなければなりません。
問題の中でどうにもならないと感じているクライエントに対して、切り口を変えてとらえなおす提案ができる必要があるからです。
柔軟であるとは、すなわち、健康であるということです。
問題があっても、その問題に支配されない。
問題と対話することができる。
人生は変えられることを信じている。
常に新たなものと出会う用意がある――。
自分が傷ついている状態では、誰かを援助することはできません。
それだけでなく、傷ついた状態のまま援助を続けることは、援助者自身の人生を破壊します。
だからこそ、援助者は「自分の課題に取り組む」ことが欠かせないのです。
2.援助の仕事という「贈りもの」
私自身は、いわゆるAC(アダルトチャイルド)です。
子ども時代から「家庭内のカウンセラー」をやってきて、大人になっても同じことをしているわけです。
援助職には、このような人が少なくないでしょう。 ……もし、私が援助の仕事につかなかったら、何をやっていたでしょうか。
漁師になって毎日魚を釣っていたら楽しいだろうな。農業をやって空と土を相手に暮らしていたら幸せだろうな。 絵を描いて自分を表現する仕事は素晴らしいだろうな。
でも私は、援助の仕事を選びました。
漁師になれなかったのはちょっと残念ですが、援助の仕事を続けてきたことで、私自身の人生には別の「贈りもの」が与えられました。
それは皮肉なことに、ありとあらゆる「援助の罠」にはまって苦しみ、そこから抜け出すために自分自身の課題と取り組んできたために、与えられたものなのです。
その中の主な課題を挙げるなら、「グリーフ」の問題と「自分自身との関係性」でした。
これらの課題に取り組んだことは、援助のために役立っただけでなく、私自身の人生も豊かなものにしてくれたのです。
3.援助者が抱える喪失
医療でも、保健・福祉・介護でも、教育・司法でも、誰かを援助する立場にある人は、3つのグリーフ(喪失の悲しみ)を抱えています。
(1)クライエントのグリーフ
援助者は日々、なんらかの喪失に苦しむクライエントにお会いするのが仕事です。
心身の健康を失ったり、大切な人間関係や信頼を失ったり、仕事やお金や家族を失ったり、世界は安全だという感覚を失ったり……。
援助者の机の引き出しには、さまざまな人々の喪失体験がぎっしり詰まっているのです。
(2)援助関係におけるグリーフ
クライエントの問題に対して、援助者が力を尽くしても、うまくいかないことがあります。
何らかの事情で力を尽くせないこともあります。 非難や罵倒を浴びることもあります。
クライエントの死を経験することもあります。
もちろんどんな仕事だって、うまくいかないときはあります。
それはクライエントだけでなく、ときには援助者の人生にとっても、大きな打撃になりかねません。
(3)自分自身のグリーフ
援助者であっても、一人の人間としてのグリーフを抱えています。
身近な人の死はもちろん、子ども時代に必要としていたのに得られなかったもの、かなえられなかった願い、親しい人とのいさかいや離別、若さを失っていくこと……いずれも喪失です。
私自身は、子ども時代から何をやってもかなわなかった優秀な兄を、アルコール依存症で亡くしました。
援助の仕事をしていながら、家族を「救えなかった」という痛みは、非常に大きなものでした。
絵描きであれば、こうした痛みをそのまま創作活動として昇華させることもできるでしょう。
しかし援助という仕事においては、個人の痛みは落とし穴となります。
4.「グリーフケア」という課題
援助者は、3つのグリーフを自分の中で健康に扱っていかないと、いずれつぶれてしまいます。
私は兄の死の後、仕事を続けるのが困難になったと感じました。
休暇をとってアメリカの「ベティ・フォード・センター」に行き、信頼するセラピストによるグリーフワークのプログラムや、援助者としてのスーパーバイズを受けました。
兄の死にまつわる自分の感情を正直に語り、悲しみを「自分で扱えるサイズ」にしていきました。 一人の人間として、そして援助者として、自分自身の責任と他人の責任を分け、できることとできないことを分けました。
子ども時代からのグリーフも含めて「悲しみのカルテ」を作り、整理に取り組みました。
人生上の「未完の悲しみ」は、援助者の援助パターンに大きく影響します。
たとえば父親への怒り(これは何らかの喪失による、ひとつの反応段階です)を無意識の中で隠し持っていたとしましょう。
それが地雷となり、クライエントとの関係で何かそこに触れるような場面があると、過剰な反応を引き起こします。 相手への怒りとなることもあるし、自己不信や自己否定となることもあるでしょう。
それが過剰な反応であることに、自分では気づかないのです。
あちこちに地雷が隠れていると、クライエントとの健康な境界を保つことができません。
過去を点検し、整理していくことが必要です。
5.健康なつながりが築けない?
私は小さいときから「家庭内カウンセラー」をやってきました。
つまり、幼い頃から周囲の人の感情やニーズに焦点を当てて生きてきたわけです。
援助者にはよくあることだと思います。
周囲にばかりアンテナを立てた状態で育つと、自分自身の感情やニーズをキャッチするのが難しくなり、自分を大切にするという感覚がつかめなくなります。
言いかえれば、「自分と自分」との健康なつながりが築けないのです。 自分に対して「無二の親友」ではなく、「いじわるな悪魔」のようにふるまいかねません。
何かがうまくいかなかったり、誰かに比べて劣っていると感じれば「お前はダメだ」と自分をののしる。
成功してちょっといい気分を味わったり、誰かに勝ったと感じれば「お前のように優れた者はいない」とそそのかす。
いずれにしても、自分の価値が極端から極端へと揺れ動きます。
これは、内側から自分の価値を感じることができないということです。
今まで精いっぱい生きてきた自分、この世界に一人しかいないかけがえのない自分、という感覚がつかめないのです。
こうした「自分と自分との関係」も、そのまま「自分とクライエントとの関係」に反映します。
6.破壊ではなく、癒しと成長へ
自分に対する関係が健康になれば、クライエントに対する関係も、健康なものになります。
私はグリーフの課題に取り組んだ後、ACの背景による共依存の課題、境界設定、もえつき防止などに取り組みました。
詰めこみがちなスケジュールを調整して、身体の不調に対処しました。
それに加えて、定期的に襲ってくる「うつ」というモンスターへの対処を学ぶことも必要でした。
こうして援助職としての長い年月の間に、自分を癒し、成長させてきたと思います。
依存症で亡くなった私の兄は、たいへん優れた人でした。 私は今でも、能力の点では兄にかなわないと思っています。
けれども、兄の中に巣くった病気は兄の人生を破壊しました。
私はそれを阻止できませんでしたが、その後の苦しい道のりの中で、さまざまな課題に取り組み、「問題に支配されない生き方」を学ぶことができました。
それは、兄からの贈り物であり、援助という仕事の贈り物だと思います。